ノウギョウノキッカケ

サラリーマンの僕が農業というものに興味を持ったキッカケ、の話。

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ある本との出会い

かつて僕が住んでいた古い平屋には、大きな据付の本棚があった。僕は会社が終わるとせっせと古本屋に通っては、興味を持った本を片っ端から読んで本棚に並べていた。なんだかとても勤勉なように聞こえるかもしれないが、単に僕は1000冊は入るであろうその本棚を本で埋め尽くしたかったのだ。ミニマリストの方から見れば、自分を大きく見せようとするために本棚に本を並べていませんか?と突っ込む部分であり、実はそれ、図星だったと思う。

その頃に古本屋の100円コーナーでなんとなく手にした一冊が、わら1本の革命という古い本だった。

内容的には、かなり大雑把に言うと、今まで稲作りに必要とされてきた作業や薬などを使わない、何もしない自然農法を提唱した元祖的な本。なんと、この人のやり方では田んぼを耕す事も、肥料や農薬をやる事も、さらには除草作業をやる事も、すべて必要がなく、それでいて従来農法と同等以上の収穫を得られていると言うのだ。

農業をよく知らない僕でも、これが本当なら確かに革命だ!と思った。以前の知り合いに兼業の田んぼ農家がいたのだが、冬以外は毎日何かしらの作業をしていたし、そもそも田んぼ農家の稼ぎは、時給に換算すると果樹や露路野菜に比べて安いとのことだったのだ。それが、作業工数や肥料と農薬にかかる経費を減らせるなら、時給だって改善するはずだ。

半分信じられない思いで読んだが、同時に、もしいつか田んぼをやる事があれば、こんな農法を試してみたいとも思った。これが、僕が初めて農業に興味を持ったキッカケ。

(この本には筆者の思想や自然崇拝が全般的にあふれていて、正直、個人的にはなかなかついていけない部分もある。が、挑戦している先人の人生観というものは参考になるし、何より読んでいて面白い!普段はあまり考えもしなかった自分の人生を、改めて考えてみるキッカケにもなった本だった。)

人との出会い

その何週間後だったか、会社の飲み会の帰り道で一人の先輩と電車に乗っていた時、ふと先輩が言った。最近読んで何か面白かった本はある?と。そこでわら1本の革命の話をした途端に、先輩が目を輝かせて言った。一緒に田んぼやろう!

聞いてみると、ちょうど一緒に田んぼをやる仲間を探していたと言う。高校時代の同級生の伝手で無償で田んぼを貸してくれるおじいさんがいるから、今度話を聞きに行ってみようぜと言うので、二つ返事で乗った。そして、こんな偶然の乗り合わせで人って繋がっていくんだね、と先輩と二人で笑った。

そこから話はとんとん拍子に進み、同じように田んぼに興味を持って集まっていた初対面の二人、先輩、僕の4人で5畝の田んぼを隣県に借りて稲作りに挑戦することになった。いつか田んぼをやる事があれば、が数週間で急に現実のものになったのだ。本当にラッキーだった。

ちなみに4人の生業は、先輩と僕はメーカー勤務、残る二人はフリーのライター、カメラマンという異色の組み合わせだった。しかし、皆が酒好きということもあって話が盛り上がり、すぐに仲良くなった。

土に触れて体を動かすことの幸せ

まずは4人の田んぼの方針を決めなければならない。元々、全員が無農薬での栽培に興味を持っていたので、せっかくなら無農薬で挑戦してみようということになった。

もちろん僕らは全員が初心者だったので、地元の農家の方々などに教えて貰いながらの作業である。皆、よそ者の僕らに対しても優しく楽しく指導してくれ、ホントにつくづく恵まれた環境で挑戦させて貰えたと思う。

そうして、初めて触る田んぼはとても新鮮で、自分らでやるすべての作業が楽しかった。

ただし収穫できた米は約130kgで、一般的な農家さんなら同じ面積でその倍を収穫できるという。僕らが費やした田んぼまでの交通費や作業時間を考えると、超赤字経営だった。もう完全に大人の道楽である。それに、米の品質の点でも粒が小さく不揃いだった。実は、田んぼの雑草を取りきれないまま稲が成長する期間を過ごしてしまったのだ。

もちろん、雑草を抑制するためにあれこれと施策は入れたのだけど、僕らではどうにもうまく行かなかった。それで、がんばって腰の痛みに耐えながら雑草取りをしたのだが、夏の雑草の勢いには勝てなかった。米を商品として市場に出す米農家の多くが農薬を使う理由も、この時に身を持って痛感した。

ただ、雑草取りには苦労したけれど、作業を終えて畔に座り風に当たっていれば、なんだか本来の人間らしい活動をしているような気がして気持ちよかった。もしかして自分は農業に向いているのでは?とか、あぁ、自分には農耕民族の血が流れているんだなぁとか、初めて田んぼを経験した人はたいていそう思うらしい。僕もそう思った。

その後

その後、僕らは3シーズンの稲作りを経験し、1回は放棄田んぼの再生なんかもやってみたりした(いつか機会があれば書きたいが、ホントに大変だった)。が、それぞれ仕事が忙しくなったために田んぼから離れ、もう10年が経つ。今は年に一度集まって飲むことだけが続いている。

その間、僕はサラリーマンとして働き続けながらも、お金を得るために仕事をする、仕事のストレスを発散させるために散財する、そのお金を得るためにまた仕事をする、のループにちょっと疲れてしまっていた。しかし、どんなにストレスに見舞われようとも、生活していくためにはこのループで我慢し続けるしかない。しかも、老後資金は年金だけでは不十分と言われる時代なのだ。

人が不安になる事でもっとも大きなものは生死に関わる事であり、食べられないこともその一つだと思う。一部の恵まれた人を除けば、今、多くの人が不安に思っていることではないだろうか。しかも欧州での事変をきっかけに始まった今の不安定な世界では、お金があれば解決という単純な話でもない。いざ大きな事があれば、どんなにお金を持っていても食料を入手できない事態も考えうるのだ。

だとすれば、食べていく物を自ら作り出すことは、自分や家族を守るための有効な手段の一つになるのではないだろうかと僕は思った。しかも、農業は食の不安を緩和するだけでなく、自身の体さえ健康であれば長く働き続けられるという魅力もある。

もちろん、非農家出身者の新規就農は初期投資も大きいし、始めたからってすぐに儲けられるわけではない。特に今は欧州での事変の影響で資材の価格も以前の1.5倍まで高騰しているというので厳しい状況だ。が、今後の生業の一つとしての農業という選択肢に興味を持ったら、僕はどうしてもその可能性を検討してみたくなってしまった。

という訳で今年、僕は思い切って農業大学校に通って農業を学ぶことにした。将来的に自分がどのような形で農業に携わっていくかはまだわからない。が、まずは先人たちが築いた農法をしっかりと学びながら、自分の方針を固めていきたいと思う。

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この記事を書いた人

電子機器メーカーエンジニアから、一念発起して農業を学び始めたオジサン学生。マレーグマの如く土をほじくり返す毎日です。

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